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マルクス主義は崩壊しても、学ぶ意味はある

いちばん典型的な例は、私の体験にもあります。私は長い間、マルクス主義を理論的に把握し、実践しようとしてきました。ところが、一九八〇年代から九〇年代にかけて、社会主義の崩壊とマルクス主義の凋落が生じました。今でこそ、社会主義、マルクス主義の転落は時代の必然であった、というような言い方をする人がいますが、あれほど急激に、あれほど徹底的に崩壊と凋落をとげるなどとは、誰も予想していなかったのです。それはともかく、二十代から四十代までに集まった私の貧しい蔵書の八割くらいはマルクス主義関係の本です。もう、マルクス関係の本は、何の使い道もありません。埃をかぶったままです。じゃあ、自分の勉強したこと、行ってきたことが、まったく無駄であ、り、虚偽に満ちており、とりかえしようもないか、というと、全然そんなことないのです。ここが、面白いところです。つまり、錯誤に満ちた知識や技術というのは存在しますが、それが、使いものにならない、どんな効用ももちえない、ということを必ずしも意味しないのです。一つだけいえば、マルクス主義と格闘した知的努力(例えば、困難な課題を系統的に考え抜く力)、行動上の活力(例えば、集団の中で個人がいきいきと振る舞う力)は、私の力の貴重な要素になっています。もしかしたら、マルクス主義と出会えなかったら、そのような力を発揮するチャンスをえることができなかったかもしれません。大学であろうが、どこであろうが、知識や技術は、可能なかぎり広い視野のもとで修得されると、思わぬ効果を生むことになるものなのです。例えば、きっとこれは十年ぐらいあとに役に立つんじゃないか、と思って勉強するのと、こんなものは、ただ試験のために覚えるのだ、と思って勉強するのとでは、ずいぶん違う結果を生む、ということです。若いとき、編集者に、どんな小論、雑文を書く場合でも、それらを後に集めて一冊にするつもりで書け、とよくいわれました。どんな小さな問題でも、大きなテーマの一部分を構成するものなのだ、と想定して書け、ということですね。どんなつまらなそうに見える勉強も、試験の点数をとるためにやるのか、それとも、将来のために少しは役に立ちうるだろうと思ってやるのかで、かなり違うのです。そして、こういうことは大学に行かないと経験しにくいものなのです。
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