英学を断念しないところがさすがである。伊藤は非常な読書家であり、つねに欧米から新刊書や英字新聞を取り寄せては目を通していたという。伊藤が帰国後どのくらいの英語力を身につけていたかについては、さまざ室な記録や証言がある。たとえば、彼は常日頃「英語の教師で食っていける」と豪語していたというが、また、翻訳をさせることが嫌いと言いながら、日露戦争時、土佐出身の軍人・政治家である谷干城が訪ねたときには、英語の手紙を秘書に翻訳させていたという。外交官アーネストーサトウとは日本語で会話し、横浜でサトウの上司にあたるイギリス公使オールコックと話すときにはサトウが通訳を務めた。伊藤の側近の一人で、『伊藤公全集』の編者でもある小松緑(韓国統監府書記官)が、晩年の伊藤の英語にまつわる興味深い逸話を伝えている。それによると、一九〇六(明治三九)年、韓国統監であった伊藤は、インチョンでのイギリス婦人侮辱事件についてイギリス大使が抗議をしてきた際、自分が直接に談判をするから、その問答を傍らで筆記せよと小松に命じた。伊藤は、発音、文法の誤謬を犯しつつも、自らの意図するところを見事に伝え、相手はほとんど伊藤の言葉を聞き返すことさえなかったという。基本的には、明治中期に盛んであった発音無視、読解重視の「変則英語」を身につけていたものと思われる。さて、我々は伊藤の英語学習に何を学ぶべきだろうか。まず、渡航解禁以前の彼のイギリ・ス留学からは、学習における動機づけの重要性を学ぶべきであろう。二〇歳まで英語を知らなかった人間が、それから半年ほど英語圏に留学したところで、英語などまともに身につくものではない。英語圏で暮らしたことのある人なら、たとえ基本的な英文法を知っていたとしても、半年くらいの現地滞在ではろくな会話力が身につかないことを痛感しているはずだ。西洋の学問を身につけたいという強い動機があったからこそ、伊藤は留学中に学んだ英語を実用に供することができた。また、政治家としての伊藤の英語について注目すべきは、その臨機応変な運用の仕方であろう。外国の動向を学ぶべく、自ら英書、英字新聞を読み、状況によって通訳や翻訳者を使う場合もあれば、自分で英語を話す場合もある。この。バランス感覚には大いに学ぶべきものがある。日本はいままさに英語狂騒の真っただ中にある。ときとして、英語が話せない政治家はみなクビにすべきだというような議論が沸き上がることもある。だが、国益にかかおる重大事を、いい加減な英語でペラペラ伝えることほど危険なことはない。英語の運用が重要となる局面では、優秀な通訳や翻訳者を使えばいい。政治家にとってもっとも重要なのは、やはり政治的手腕以外の何物でもないのである。
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