フランスの香りを高く漂わせ、しなやかなニットで、あるいは体に自然になじむシルエットで、ソニア・リキェルは女性のためのモードを発表しつづけてきた。そんな彼女は、じつはルーマニア人の父、ロシア人の母のあいだに生まれた、スラブの血を受け継いだ女性だ。少女のころは、赤毛に顔はソバカスだらけというスラブ人特有の容姿を、母親ですら気にしていたという。おまけに彼女は性来のおてんば。将来にモード界の旗手といわれる日がこようなどとは、本人さえ考えていなかった。母親は、夜明けになると少女を外に連れだし、草にたまった露で顔を洗ってやったという。まるでサビが浮いたようなソバカスが、それで消えると本気で信じてでもいるかのように。そんな母親の態度から、ソニアは自分の容姿については語る価値さえないと思っていたふしがある。母親から、一度も「かわいいね」「きれいだよ」といわれたことのない娘。この娘が、小さなブティックの経営者と結婚したことで、モードの世界に身を投じることになった。最初は自分のために仕立てた服が、友人たちのあいだで評判となり、夫のブティックの隅で針仕事をしては売るという形からスタートした。自分の容姿が、もしかして世間に受け入れられないものではないかと、母親の言動から少女のころにいだいた不安が、その後のソニアの方向を決めたのかもしれない。彼女の目指したのは「デ・モード」、つまり脱流行とでもいうべきもの。モードを様式ととらえるなら、「こうあるべき」とされるものからの解放だ。美や形式にとらわれない、自分らしく自然体で着られる服。それがソニアの求めたモードだったのだ。