強大な力をもつE氏率いる自動車労連の存在は、様々な弊害を与えていた。会社側が打ち出す施策が気に入らなければ、直ちに生産ラインを止めてしまう。販売会社は土・日曜日がかき入れ時にもかかわらず、そこの従業員に土・日はできるだけ休むように指示を出す。極めつけは、生産現場の従業員に販売会社への出向命令が下ると、その従業員に、出向を拒否することを強制する。組合の強制を拒否した従業員には幹部がよってたかって、その従業員が販売会社への出向を考え直すように説得工作を続ける。それでも組合の要請に応じない従業員の中には出向を認めさせないよう、自宅に軟禁状態にするというケースさえあった。常軌を逸したとしか思えない労組のやり方に、当時の経営陣は誰一人文句をいえなかった。E氏の背後にK氏が控えていたからである。当時の日産は、指揮命令系統が二つ存在していたわけである。従業員は経営側を向くべきか、組合側を向くべきか、常に両者の顔色をうかがいながら仕事をしていた。こんなエピソードがある。K氏の社葬を前に、ある部長が深刻に考え込んでいた。会場での座る位置をどうするかということだった。葬儀委員長であるI氏が座る位置とE氏が座る位置が対等でないと、E氏から文句がでるというのである。バカバカしいといえばそれまでだが、この部長にとっては両者の顔を立てることが最大の仕事になっていたのだった。“二頭政治”なるがゆえに、従業員の間に事なかれ主義が万延していたのである。この事なかれ主義が日産を官僚主義的体質にしてしまったといえる。業界では本社が東銀座にあるところから日産を“東銀座通産省”などと揶揄する声すらあった。およそ、企業としての体をなしていなかったのが当時の日産である。
[参考サイト]
神奈川の中古車情報
http://www.goo-net.com/area/shutoken/kanagawa/
北海道の中古車情報
http://www.goo-net.com/area/hokkaido/
埼玉の中古車情報
http://www.goo-net.com/area/shutoken/saitama/