ある男性月刊誌の打ち合わせで編集者から「秋に向けて四〇代におすすめのスーツをクローズアップしたいのですが」と頼まれたことがある。その雑誌は三〇代半ばから四〇代の富裕層向けだった。私は今までその雑誌の取材で実際に何人もの読者宅に伺っていた。ある人は一着五〇万円以上する注文服(オーダースーツ)を三〇着以上所有していたし、別の人は春夏、秋冬とシーズンが変わるごとにお気に入りのモードブランドの服を、クロゼットごと総入れ替えする生活をしていた。だから、担当編集者に「(そういう)読者におすすめのスーツ」と聞かれて、はたと困ってしまったのを覚えている。当時、流行しようとしていたのはストライプスーツだった。しかし私は、「この秋注目のストライプスーツ大特集」みたいな、よくあるステレオタイプのページをつくるのは嫌だった。ブランドのニュースリリースをそのまま雑誌に落とし込んだようなページでは、記者の視点がないと思ったからだ。また「価格と品質のバランスがいい、お買い得なストライプスーツ」のような切り口にもあまり意味がなかった。なぜなら、彼らには「お買い得」なんて発想は無用なのだ。行きつけの店で、最上級ストライプスーツを買えば事足りるからだ。あるいは、輸入されはじめた新しいブランド(のストライプスーツ)を紹介したとしても、情報通の彼らに果たしてどれだけインパクトがあるか、はなはだ疑問だった。私は少し考えたあと、自分が最近、友人の仕立屋に仕立ててもらったスーツのことを思い出し、担当編集者にこう答えた。「読者におすすめしたいのは、去年まで似合わなかったスーツです」編集者は意味がわからず、不思議そうな顔をした。確かに、説明しなければ誰にも伝わらないはずだ、去年まで似合わなかったスーツ、だなんて……。この雑誌の読者のように、四〇代の男性というのは、業界を問わず、社会の中ではすでに重要なポジションにある人が多い。しかし、ことスーツを着るというキャリアにおいては、まだまだ若い年代なのだ。スーツには、四〇代の男が着ている範囲をはるかに超えて、さらに多様な色、柄、デザインが存在している。「去年まで似合わなかったスーツ」というのは、この雑誌の読者がまだ若いがゆえに着るには時期尚早だった(が今なら似合うようになった)スーツのことだ。
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