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がん患者を救えないという絶望

研修期間を終えたY氏が配属されたのは内科の中でも最も死亡率の高い肺癌を診る呼吸器部門だった。自ら希望したわけではなく、たまたま欠員があったから補充されたのだった。胸部X線写真の読影や気管支ファイバースコープの所見の取り方を勉強し、肺癌の診断と治療にとりかかった頃のY氏は元気だった。少しでも早期の癌を見つけ、手術で完治させてやるのだという夢もあった。しかし、二年、三年と経つうちにY氏は元気をなくしていった。彼の診断技術が上がれば上がるほど肺癌の患者は増えていったが、そのほとんどが診断のついた時点ですでに手遅れのケースだった。初診のときはまったく健康そうに見えた四十代の会社員が、まだ幼い子を三人も抱えた三十代の母親が、一年も経たないうちに死んでいった。病院の裏口から死体を送り出したあと、空になった移動寝台車を引きながら、「なんなんだ、この仕事は」と、Y氏が深いため息まじりにつぶやくのを看護婦たちは何度となく聞いていた。